ゴー宣DOJO

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笹幸恵
2013.12.15 07:16

戦争の足音

 

「あなたの話を聞いていると、

戦争の足音が聞こえてくるようだ」

 

かつて、人生の大先輩に言われた言葉だ。

その人は戦没者を「無駄死にだよ」と言った。

 

そうではないと思います。

彼らの死が無駄かどうかは、

今を生きる私たちにかかっているのではないですか。

 

そして私は、戦没者を悼む気持ちを伝えた。

また彼らへの追悼とは別の次元で、

あのとき何があったのかをきちんと知る必要があると力説した。

負け戦から何も学ばず、何も得ないのなら、

それこそが彼らを無駄死にさせることではないか、と。

だからこそ戦争の歴史に向きあわなければ、と。

 

しかしその人には通じなかった。

 

「戦争に興味がある?

悲惨さを知らないから言えるんだ」

「僕は子供達を戦場に送りたくない」

「軍靴の響きが聞こえてくる」

 

全く価値観の異なる人との議論は、

たいてい徒労に終わることを知った。

以来、「戦争の足音」とか「軍靴の響き」などという言葉に、

私は反射的に嫌悪感を覚えるようになった。

 

一体どこから戦争の足音が
聞こえてくるんだよ!!!

(心の叫び)

 

ところで先日、野中広務元官房長官がこの言葉を使った。

特定秘密保護法案に対してだ。

「戦争の足音が・・・」

 

しかしこれを聞いたとき、私は嫌悪感を覚えなかった。

野中元官房長官はこう続けている。

「この法律は恐ろしい方向へ進んでいく

危険な感じがして仕方がない」

まったく同感である。

いかようにも解釈ができ、

権力を持つ者が恣意的に運用できる法律ほど

怖いものはない。

 

デモだってテロと認定できるし、

何をもって「報道に従事」しているかも明確でないから、

後ろ盾のない私のようなフリーランスは

首根っこをつかまれたら一巻の終わりだ。

そのうち皆が自主規制するようになるのだろうか。

 

こう書くと「安倍政権の文句を言うな」と

言う人が必ず出てくる。

そういう人は、民主党政権のときに

この法案が出されたら賛成したのだろうか?

安倍さんだから大丈夫、ということは、

ほかの人になったら危ない、という意味では?

安倍政権が100年続くなどと思っている

能天気な人はさすがにいないはずである。

 

ちなみに昭和13年5月に施行された

「国家総動員法」は恣意的運用の究極である。

何しろほとんどの条文に

「国家総動員上、必要あるときは・・・」と

書かれている。

つまり時の政権が「必要」と思ったら

人でも馬でもアルミの弁当箱でさえも

供出させられるのだ。

 

恣意的に解釈できる法律がどれほど怖いか。

日本が敗戦に至るまでの経緯を知れば

一目瞭然である。

それを知らず、何も学ばないから

時の権力の言いなりになれるのだろう。

 

あの敗戦から何の教訓も得ない。

本当の意味での反省すらない。

都合の悪いことには頬かむりし、

あるいはお上に一任し、

皆が一斉に同じ方向を向いて安心している。

 

それを保守とはいわないし、
敗戦から何も学ばないのなら
戦没者はまさに「無駄死に」というほかない。

 

ああ、戦争の足音が聞こえる。

まさか自分がこの言葉に共感する日が

来るとは思わなかった。

 

笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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テーマ: ゴー宣DOJO in広島「原爆の悲惨さはなぜ伝わらないのか?」

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